製紙法発明 ( 105 年 )
関連概念 : 現中国 文化
後漢

【紙の発明】

中国古代の文字は「簡」(竹片)「牘」(とく=木片)か、あるいは「絹帛」に書かれていた。
しかし,前者の場合には重量がかさみ,後者の場合には高価であった。

これらの不便をあらためて製紙法を完成したのは,後漢の宦官___(当時彼は宮中の用度長官と宮廷の工房主任の地位にいた)であった。
彼は、樹皮(カジノキの繊維),麻頭(麻くず),古布,魚網などを石臼で砕き,水の媒介で紙をすき,これを105年に和帝に献上した。
以後この紙を蔡侯紙といったといわれる。

最も最近の学説では,「紙そのもの」はすでにそれ以前から存在し、蔡倫はこれに改良を加え,簡易で優れた製紙法を完成したのだと考えられている。

【製紙法の伝播・日本へ】

中国で開発された製紙法は,一方では朝鮮をへて、日本には610年ごろ(推古天皇18年ごろ),高句麗僧曇徴により伝えられ,これが和紙製法の基礎となった。
紙は中国で発明されたが,現存する世界最古の印刷物は日本にある。
称徳天皇(在位764〜770)の命により印刷された100万部の経文「百万塔陀羅尼」(法隆寺に現存)がそれである。

【西アジアからエジプトへ】

他方では,唐朝玄宗即位時代の751年,サラセン人が中央アジアで中国軍と戦い(タラス河畔の戦い),___を占領したとき,中国軍の捕虜から製紙術を学び,これを8世紀末に西アジアに伝えた。
これはさらに900年ごろエジプトに入り,以後「ペーパーロード」で知られるようなルートでヨーロッパに広まった。

なおサマルカンドでつくられた紙の原料は亜麻とおぼしい植物繊維を多く使い,ほかの草木繊維を併用していた。

【アフリカ・モロッコへ】

その後製紙技術は地中海沿岸・アフリカ北部に伝わり,12世紀の初期にはモロッコで製紙が行われるようになった。

【スペイン・イタリアへ】

ヨーロッパで初めて紙すき法による製紙が行われたのは,スペインにおいてであった。
すなわち,12世紀半ばスペインに侵入したムーア人がサティバ・トレド・バレンシア地方に最初の製紙工場をつくったのである。

また,これと同じころ、十字軍に従事した兵が、小アジアより製紙術をイタリアヘ伝えたと考えられている(他の一説に,アラビア人のシチリア島占領によるものというのがある)。

スペインの製紙業は、のちにムーア人の退去とともに衰微したのにひきかえ,イタリアでは各地に工場が設立され,ここでは「すかし模様」をとりいれたり,「インクのにじみを防ぐ」ため耐水性物質(サイズ剤)を加えるなどの技術面の貴重な改良が加えられるにいたった。

【フランス・ドイツ・イギリス・アメリカその他】

12世紀末に最初の製紙工場が設立されたフランスは,その文化水準の高さとあいまって18世紀ごろまでヨーロッパ製紙業界の中心であった。

その後ドイツでは14世紀前半ニュルンベルクに,ついでオーストリア・ベルギーは15世紀初頭,イギリス15世紀末,オランダ16世紀末の順序で製紙工場がつくられた。
アメリカでは1690年になりオランダ人によって製紙業が始められた。

【ヨーロッパ製紙法・機械製紙法】

こうした15世紀以降のヨーロッパの製紙業の発展は,グーテンベルクによる活版印刷術の発明とフランス人,ニコラ=ルイ=ロベールによって開発された機械製紙法に負うところがきわめて大である。
後者は1798年ロベールが苦心の末,これまでの手すき法から連続抄紙機を発明して大量製紙を可能にしたのである。

そのころのヨーロッパ社会は,産業革命をへて近代資本主義の確立期で中産階級が台頭していたころであるから,新聞・雑誌・書籍のみならずあらゆる紙に対する需要は盛況をきわめていた。
この需要を満たすべく機械化された印刷術・製紙術は,その後改良されて19世紀前半にはイギリス・フランス・ドイツ・オーストリアなどに普及した。

さらに特筆すべきは,紙の原料を大量に提供する新しい方法として各種パルプの開発がなされ,これが製紙業を近代工業へと飛躍させたことである。
1840年砕木パルプ(ドイツ),1854年わらパルプ(フランス),1867年亜硫酸パルプ(アメリカ),1884年硫酸パルプ(スウェーデン)がそれである。

2003/10/14 masashi tanaka

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